夜の日和山さんぽ 松林銘碑

説明板より
宝暦8年(1758)、本間光丘が下の山王社境内を中心とし、南は最上川岸より北は高砂の境に至る地域に西浜砂防林の造成を自力を以って着手した。
 延長約一千間(約1.8キロ)東西約二百五十間(約450メートル)で、海岸に強いといわれる能登の黒松を取り寄せて植え付けた。
 ぐみの木、合歓の木の苗を植え、定着をまって黒松の苗を植え、枯れた木は直ちに補植するなど、艱難辛苦の苦労も遂に実り、ここに一大松林が形成され、住民の悲願であった風砂の害を漸く克服するに至った。
 光丘の没後、15年を経た文化13年(1816)、酒田町民の有志は光丘の偉業を巨石に刻み、その公益を永世に伝えんとした。
 撰文者の公厳は本間家の菩提寺の住職である。碑文は神戸で刻み、海路運ばれたものである。
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